20代OLの瀬戸際

風の前の塵に同じ

ハワイとハワイ像の神隠し

突然ですがGWはハワイに行きました。20代半ばにして人生初ハワイです。

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ハワイ、それは楽園の代名詞とされている。

肘関節がへし折れそうな満員電車の中やコンクリートの密室でカタカタとキーボードを叩くだけで日の光も浴びずに一日が終わってしまった夜には、人は皆脳裏にハワイを思い浮かべるという。

折しもGW直前までストレス圧の権化のような上司の詰めに耐え続けていた私は思った。そうだ、ハワイだ、GWはハワイに行こう、何故なら楽園だからである。青い空、青い海、ヤシの木の合間からは虹がかかり南国鳥が浮かれ騒いでいるに違いがない。ピーク料金など知ったことではないのだ!

 

という訳で4泊6日で行ってきたはいいものの、なんというか、期待していた「南の島」とは少し様子が違っていて気落ちし、気落ちしたことに自分でもショックを受けたのでそもそも何を期待していたのか、どこに違和感を持ったのかを言語化してみようと思う。

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◆めっちゃ都会。なんかタワマンっぽいビルとかある

お前は一体ホノルルを何だと思っていたのか?と言われそうだが、空港からホノルルにあるホテルに向かうまでの間で既に(これは島というよりビーチ付の都会ということで認識を改めた方が良いようだな?)と感じ始めた。なにしろビルがでかい。そして多い。こちとら今まで南の島といえば八丈島やら宮古島やら小笠原諸島を訪れていた人間である、鬼のように高層ビルが立ち並ぶ南の島だなんて聞いていない。そりゃあまあヒルトンやらシェラトンやら、ガイドブックから窺い知れるホテル数の多さだけからしても十分予期できたはずの光景ではあるのだが、いざ着いてみると私が来たかったのは本当にここだったのか?と不安に駆られた。

今回は組んだオプショナルツアーの日程上行けなかったのだが、各種情報から判断する限りではおそらくノースショアのあたりに行っていればこの点は解消されていた可能性が高い。その一方で、そこら辺も既に開発計画が進んでいるとの話を現地ツアーガイドさんから耳にしたのでこの先高層ビルが建つようなことがあるのかもしれない。

 

◆無駄にハイブランド店舗が多い。富裕層の植民地感がある

ホテルからワイキキビーチを目指すだけでCHANEL、お前何回登場した?という気にさせられる。いや本当にそれがCHANELだったかは定かでないのだけれど、ショッピングセンターや路面店舗が狭い面積に凝縮して多数立ち並んでいるため同一ハイブランドがどこに行っても立ち現れる現象が起こる。違うじゃん。こっちはそういう資本主義社会とか貧富格差とかの現実を感じさせるものから少しでも遠くへ離れるためにわざわざ大枚をはたいて南の島を目指すんじゃないか。

これについてはむしろ私の期待が間違っており、ハワイはそうしたショッピングも楽しめるのみならずそこから徒歩圏内に美しいビーチも兼ね備えているから良いのだ、というのが一般意見なのだろう。まっぷる見ても買い物のページが大半を占めていたし。現実逃避の楽園→ハワイというなんとなくの直感で物事を進めるからこうなるのである。

ただ、現地ツアーガイドさんはこうも零していた。「ハワイは一生住めるところじゃない。物価も高いし、買えるような価格帯の家は借地権契約になるから結局自分のものにはならないかもしれない。同じだけの金額を払えば田舎の州では信じられないくらい広い庭付きの家が手に入るわ、だから残念だけれど数年後には移るつもり」

先述した高層ビルも、富裕層が別荘として不動産を持ちたがるから需要が尽きず建ちまくっているということなのだろう。けれど彼らは年中ハワイに住むわけではない。夜にトロリーから眺めている感じでは、電気が点いている部屋が3分の1程度というビルも多かった。

美しい自然がある、陽光の射す温暖な気候がある、そんな土地には誰だって住みたいに決まっており、誰もが住みたいと思うならば高いお金を取れるわけで、たまにしか使われないラグジュアリーなビルが建ち、美しい自然と共存していた元ある暮らしが隅に追いやられていく、至ってまともで何も間違ってないけれどそれを目の当たりにしたかったわけではない。

 

◆氾濫する日本語、観光の植民地感

そしてなんといっても日本語が氾濫している。日系人が多いとか「日本語が通じる」というのとはまたちょっと違って、例えば大概のレストランが日本語メニューを用意しているほか一部の店はアメリカの小銭の説明紙までレジ前に貼っている、現地トロリーバスに取り付けられた電光掲示板にカタカナの文字が躍る、日本語対応不可と聞いていたツアーのガイドさんが日本語ガイドをしてくれる、そういう観光対応上の必要に迫られたことがわかる日本語が氾濫しているのである。

それも非の打ちどころがない自然な流れだというのは勿論なのだけれど、楽園→ハワイを目指した日本人達がこれまでもこれからも大挙した影響が目に見える形で表れていると思うと少し怖くなってしまう。非英語圏が手っ取り早い世界共通語として英語の観光対応を進めるのはわかる、だがハワイで日本語対応が行われているのを見ると異常と感じてしまう。何だろう。特に必然性が見いだせないからだろうか。何故だか知らないけれどルーマニア人は高知県が大好きで毎年大量に訪れる、だから高知県民は一生懸命ルーマニア語を表示したり喋ったりするようになった、という感じの違和感。いや、これもやっぱり自然で何も悪いことはないのか?

そもそも自分の中で「観光」=元いる人達の暮らしをコンテンツとして食い物にする行為だという罪悪感があるからかもしれない。例えば一眼を持って綺麗だ綺麗だといって写真を撮りまくり、そこに写る地元の人のプライベート等一切構うことなしにネットにアップロードしている時に見ないふりをしている後ろめたさが。

 

こうして書いてみると単純に「思っていたのと違った」という以上に、自分が常日頃感じている苛立ちやら問題意識やらがたまたま良く映る鏡がハワイだったということなんだろうか。

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またいつか行くことがあるかはわからないが、海は胸を洗う美しさだった。