20代OLの瀬戸際

風の前の塵に同じ

ゼロ年代ライトノベルの回想録:①キノの旅とブギーポップ

キノの旅時雨沢恵一)」が再アニメ化だって!?

 

漫画と同じくらい本を読むことも好きです。小説も一般書もそこそこ読みます。

得てして、幼少期から読書好きな人というのは大体中学生くらいから夏目漱石ドストエフスキー等の文学作品に手を出し始め、大学の頃には一般的な知名度のない作家を発掘して愛でる…という傾向があるように思いますが、残念ながら私はそのコースは辿りませんでした。

読書好きな子に育てよう!という母の教育方針の元、50円(夏休み限定子ども料金)を握りしめて図書館に行き、10冊本を借りては帰ってくるといった小学生時代を送った結果、中学生になった私が向かったのは図書室であった。うちの中学の図書室にはドストエフスキーはなかった!代わりに、山のようにラノベが置いてあった。そして私は電撃文庫の沼に沈んだのである。

 

2000年代前半は(その予兆は既にあったにせよ)まだ美少女萌えブームは始まっていなかったので、振り返っても物語の骨がちゃんとしているというか、ラノベ(笑)で終わらせるには勿体ない作品が多かったように思う。

というわけで、当時好きだった作品を振り返っていこうと思います。

 

キノの旅(2000年~、既刊20巻)

「世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい。」

 アニメ化・ゲーム化など様々なメディアミックスが行われているロングセラー。なんと今秋再アニメ化するそうです!(紹介にあたり調べて初めて知ったよ)

この記事の最初のリンク、及びこちらのリンク画像を見て、あー懐かしい!…か?こんなんだったか?と思った人は旧装版読者の可能性があります。旧装版とはこちらのことだ!

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 こちらの画像を見て懐かしさのあまりぼえー!!ごぼごぼごぼ!!!!と息ができなくなった方は同志です。よくぞここまでいらっしゃいました。

サモンナイトシリーズのキャラデザも務めていらっしゃるイラストレーター・黒星紅白さんの絵に惹かれてジャケ買いならぬジャケ借り。その後結局自分で本屋で買い集めた。カバー及び冒頭数ページのカラーが毎度溜息もので、当時お絵かき少女だった私は一生懸命絵を真似しようとしてました。

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 特に好きだった4巻カバーと何巻か忘れた挿絵。 今見ても良い…

途中途中で絵柄が変わっていくんですが、3~7巻くらいが特に個人的に好きでした。また、白黒の各話表紙はカラーとは打って変わってトーンなしのシャープな画面構成で恰好良かったな…

 

話はというと、十代の主人公・キノとモトラドエルメスが様々な国を旅していく、というもので、基本は1つの国につき1話で語っていく短編集のような作品です。国はいずれも架空の国ですが、何かしら普通ではないひねた特徴を持っています。

たとえばわかりやすい例でいうと、第1巻に出てくる「人の痛みがわかる国」は国民全員が頭の中をテレパシーで読めてしまう国、「多数決の国」は全てを多数決で決め、少数派を死刑にしてきた国です。そこにその国の常識を知らない旅人が現れるとどうなるか?という話転がし。これらの例からも滲むように、反実仮想の寓話という説明の方が近いかもしれません。

絵柄はかわいい割に話の温度は一定で、途中でキノは殺されかけることもあれば人を殺すこともあります。感情を爆発させるようなことも基本はない。超クール。そこで感情移入ができない、と引いてしまう人もいるのだろうけれど、淡々として過剰に情に訴えかけすぎない作者の語り口が好きでした。

モトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)」とか、「エルメスはひとりごちた」とか、妙に頭に残る文言もポイント。あと、「パースエイダ―」と言われて拳銃が即座に浮かぶ人を見つけたらキノ旅仲間です。

 

たしか10巻読むか読まないかくらいで高校生になり、またなんとなくのネタ切れ感も感じていたので自然と離れていったのですが、まだ続いているとな。現在のあとがきは一体どうなってしまっているのか気になるところです。(※作者はあとがきに異常なこだわりを持っており、毎回新規性を持たせようとした結果、あとがきが箇条書きになったりカラーページにあったりカバー裏にあったりした。発売後「あとがきのネタバレ」がネットに載るのもこの本くらいだと思う)

それにしてもこれを書いている内に懐かしさが爆発四散したので急遽1・2巻を読み直すことにしました。3巻以降も面白いけど特に2巻までに記憶に残る良エピソードが固まっていた、気がする。果たして大人になってから読んでも面白いのかしら。

 

ブギ―ポップシリーズ(1998年~、シリーズ既刊21巻)

「ぼくは自動的なんだよ。周囲に異変を察知したときに、宮下藤花から浮かび上がって来るんだ。だから、名を不気味な泡(ブギ―ポップ)という」

ロック界におけるビートルズ、サッカー界におけるキャプテン翼囲碁界におけるヒカルの碁です。wikipediaによると、上記キノ旅作者の時雨沢恵一のほか、奈須きのこ西尾維新佐藤友哉が本作に影響を受けてラノベを書き始めたことが示唆されており、ゼロ年代以降のラノベの生みの親といってもいいはずだ!

…というラノベ界では非常に有名だった作品で、と過去形で話を続けようとしたのですが、これもまだ続いてるのかよ。シリーズ最新作「ブギーポップ・ダウトフル 不可抗力のラビット・ラン」が2017年7月7日発売だそうです。本当に今は2017年なのでしょうか。ゼロ年代はいつ終わるんだ。

 

なんにしても、レーベルとしての電撃文庫を一気にトップに担ぎ上げた作品であることに違いはありません。実際のところ「笑わない」は98年刊行なのでゼロ年代ではないんですが、ゼロ年代群の開始号砲となった作品として扱います。

そしてこちらはシリーズ物ではあるんですが、「笑わない」はそれ自体1巻で完結しており、他は同じ舞台設定でのスピンオフ、くらいに考えて問題ありません。そのくらい「笑わない」単体のまとまりと完成度が高い。

 

キノの旅とは違い、本作の舞台は現代の日本の高校です。主人公も高校生。高3で厳しめ進学校で大学受験前、けど自分はすんでのところで就職という道を選んだから受験組に気を遣って疲れるなー、な竹田君です。宮下さんというかわいい年下の彼女もいます。が、ある日いきなりその彼女が妙なコスプレをして竹田君の目の前に現れ、「自分は世界の敵と戦う存在、ブギーポップだ」等と言い出す。当然、竹田君は焦ります。どうした、邪気眼でも開眼したか?と。

でも別の日に会った彼女は、そのような奇怪なことをした記憶はないという。その一方で”ブギーポップ”は再度竹田君の目の前に現れる。学校では4人の生徒が行方不明となっている。進路の違いからなんとなく友達とも話しづらくなっている竹田君は、「この学校の危機」を見張っているのだと言い張るブギーポップと屋上で話すことで心の安らぎを得る。

行方不明が5人になった次の日、いつもの屋上で竹田君はブギ―ポップから危機は去った、自分も去ると告げられる。「世界を救うんじゃなかったのかよ!?まだ全然救われてないぜ」と縋る竹田君を置いてブギーポップはそのまま二度と姿を現わすことなく、後には何も覚えていないいつも通りの彼女、宮下さんだけが残される。

 

と丁寧に書きましたが、実はこれ第1章のあらすじで、本編はこの後も視点人物を変えて続きます。ブギーポップが現れている間、竹田君の知らぬ間に起きていた「この学校の危機」とは何だったのかが別人物の視点から語られるというわけです。実際には、本当にいた「世界の敵」である異世界人がこの学校の生徒を食べてしまっていて、ブギーポップはそいつと戦っていたのだ、ということがわかる仕掛けとなっています。

異世界人?はーん!やっぱラノベには付いていけねえな!という人もいるかもしれませんがちょっと待ってくださいこのあらすじ、全員の視点を合体させたらほぼ「かえるくん、東京を救う(村上春樹)」ですよ。読んだことがない人は今すぐ読んでください。

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

「かえるくん」を含む連作短編集です

 

片桐に理解できない謎の存在・かえるくんが大地震を引き起こそうとする世界の敵・みみずくんと戦うのも、戦って東京を救った後のかえるくんが片桐の引き止めに応じずあっけなく去ってしまうのも、その後に片桐さんがかえるくんを友人のように名残惜しむのも、かえるくんのことを知らない人は東京の危機が救われたなんて気付きもしないのも全部同じです。なんなら、かえるくんが片桐に「あなたがいてよかった(あなたはただの傍観者などではなかった)」と告げるのも同じ。

「しかし、新刻敬――君の意思の強さは見事だ。君のような人がいるから、世界はかろうじてマシなレベルを保っている。世界に代わって感謝するよ」

(異世界人との戦闘で役割を果たした視点人物の1人・新刻敬に対するブギーポップのセリフ)

 

「ええ、そうです。片桐さんは夢の中でしっかりとぼくを助けてくれました。だからこそぼくはみみずくん相手になんとか最後まで闘い抜くことができたんです」

(眠りから覚めた片桐に対するかえるくんのセリフ) 

 

ブギーポップが1998年2月に発売されており、かえるくんは1999年12月に掲載誌初出なので時期も近いんです。

ここで言おうとしていることは、だからブギーポップも立派な文学なのである!とかましてやかえるくんはブギーポップのパクリなのである!といったことではなく、こうした「自分ひとりでは太刀打ちできないような悪意や超破壊に対する無力感と、それに対する救い」を描いた物語を欲する時代の空気のようなものが当時あったのではないか、ということです。阪神大震災地下鉄サリン事件、神戸連続児童殺傷事件等が発生していた1990年代後半という時代に。

そして世界の様相が当時から劇的に好転していない以上、その感覚というのはまだ古びていないはずで、こうして2010年代も後半になった今読み返しても心の隅に残るものがあるはずだ。実際、大学卒業直前くらいに再読しているのだが、年月の経過で錆びたところがあるとは思えなかった。

 

あまり抑揚のある文章ではなかった気がするし、やっぱり設定が非現実的すぎて乗れないとかセリフが青臭いと言われればそれまでなのでその辺の好みは分かれるかもしれませんが、「ラノベ(笑)」と言いながらもそういえばラノベ読んだことない…!という人がもしいたら最初に手にしてほしい1冊。

 

以下ブギーポップ余談。

◆その後のシリーズ続編もたぶん「ホーリィ&ゴースト」あたりまで読んだはずなのだが、まるで内容を覚えていない。「ペパーミントの魔術師」が良かった、というおぼろげな好印象のみが残っている。

◆「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を初めて知ったのはこの本。ブギーポップが登場するときに口笛で吹く曲。本来は金管が華やかな曲で口笛には適さない、はずだが、いざ口笛バージョンを聞くと屋上から見た夕焼けに染まる静かな住宅街の風景が眼前に現れてくる気がするのですごい。ニコ動リンクを貼っておきます。

www.nicovideo.jp

◆「ゴンドラの唄」の存在を知ったのもこの本。「いのちみじかし恋せよ乙女 あかきくちびるあせぬまに 熱き血潮の冷えぬまに あすの月日をないものを」。紙木城のキャラとセットで好き。

 

次回?

回顧しよう!と思い立って書き始めたらこの2作だけで5,000文字を超えてしまってどうしたものかという感じですが、まだまだ語りたい作品があるのでまたつらつらと紹介する予定。「イリヤの空、UFOの夏」「リバーズ・エンド」「半分の月がのぼる空」「キーリ」「NHKへようこそ!」「灼眼のシャナ」「マリア様がみてる」「しにがみのバラッド」「Missing」「空の境界」「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」「クビキリサイクル戯言シリーズ)」など。めっちゃあるな。乙一ラノベ枠に含めたら更に増える。

当時読んでなかったものも入れたら「とある魔術の禁書目録」「ゼロの使い魔」「SAO」「バッカーノ!」「涼宮ハルヒの憂鬱」あたりも大体この辺(2000年代前半)の時期じゃなかったっけ?と思うとラノベ黄金期だ…すごい…。